貴方の見ているドメインは
このページについて
道中は別に変ったこともなく、根津の主従は箱根の湯本、塔の沢を通り過ぎて、山の中のある温泉宿に草鞋わらじをぬいだ。その宿の名はわかっているが、今も引きつづいて立派に営業を継続しているから、ここには秘しておく。
「いや、私はすぐこの近くで医者をしとる、高間といふ者ですが」
「うむ、判る?――ね?」
今頃になつて、男はさう訊き、盛子がそれに答へる前に、ひとりでうなづいていた。
そのとき、女房に命じて、温泉を加熱する装置を施してもいいか、ときかせると、
「おい、お茶を入れてくれ」
「ふむ」
房一が云ふと、喜作は突然びつくりするほど大きな口を開けて笑つた。
と、彼女は半ば問ふやうに、まじまじと徳次の顔を眺めた。彼はいつの間にか戸口から少し家の中へ入りこんでいた。だが、その奇妙な遠慮深さのために片手で入口の柱をつかまへたまゝ、宛あたかもまだ家の中へはすつかり入り切つてはいませんや、と云つているやうな恰好をしていた。その時盛子は男が今一方の手で平つたい笊を抱へているのに気づいた。その中には笹の葉のやうなものがのせられ、下では魚の腹らしいものが光つて見えた。
相手が急に三人にふえたためか、柵の中の長身な男は一層興奮した。
「もう、だいぶようなつたですわ」
今泉はかすかに鼻のあたりを不満げにふくらませた。
「よし!」